よろずQCのZen問答: QCが5年で実用化?本当?
なんと、いかにもというタイトル。これはスポーツ紙の見出しみたいだが。釣りかな?このblogは最近出たフィナンシャルタイムス(FT)の記事とGoldman Sachs(GS)とQCWare(QCW)とのpress releaseも加味して書いている。FTの記事もpress releaseも英語だが、FTは今や日経の傘下にあるので、間もなく日本語訳が出るだろう。FTの元記事のタイトルは、「Goldman Sachs(GS) predicts quantum computing 5 years away from use in markets」というもの。
GSは米国のニューヨーク市に本社を置く、大手の投資銀行であり、金融会社である。総売り上げは4.5兆円程度である。よくQCの1つの応用分野に金融が取り上げられる。(QCの応用分野に関しては、最近の日経記事「元はCB Insightsの記事」及び筆者の以前のblog参照)全世界の金融分野の市場規模は2,700兆円規模であるので、応用分野として考えるのは当然だろう。GSも活発にこの分野で活動している。FTの記事はあまり技術的ではなく、どちらかと言うとセンセーショナルな内容の様に感じた。FT以外にもこれを報じている記事はいくつもある。
GSとQCWのPress Release(2021年4月29日付)は「Goldman Sachs and QC Ware Collaboration Brings New Way to Price Risky Assets within Reach of Quantum Computers」で、もう少し抑えた発表ととなっており、若干技術的な内容も含まれる。FTが5年でQCが実用化されると言うのは、正しくないとは言えないが、かなりpress releaseを引っ張って解釈していて、ちと釣っぽいな。。最初にFTの記事に沿って解説して、その後Press Releaseからの情報で補足してみる。
最後に他がどういう予測をしているかを書いてみる。最近発表されたblueqat湊氏のビデオとそれを筆者がまとめたblogと比較してみると面白い。
GSはSan FranciscoのQCスタートアップのQCWとの共同研究しており、その研究を発表した訳だ。(QCWareと言えば、そのAdvisorの一人のAdam Bouland氏の発表のまとめのblogはここにある。)
FTの記事より
結論からいうと、莫大な計算の速度改善(量子超越性)を求めず今の不完全なQC(NISQ)で到達可能な部分を使用しても十分意味があると言うことだ。金融商品の1つであるデリバティブ(derivatives)の値付けは非常に複雑で莫大な量の計算を要する。そのため、時間もコスト掛かる。それを削減することは金融機関にとっては大きなニーズがあると言える。ところで、デリバティブに関しては、Wikiからの触りを枠外に貼っておく。
デリバティブとは
金融理論におけるデリバティブ(英: derivative)とは、より基本的な資産や商品などから派生した資産あるいは契約である[1]。金融派生商品(英: financial derivative products)とも言われる。
デリバティブとは、基礎となる金融商品(原資産)の変数値(市場価値あるいは指標)によって、相対的にその価値が定められるような金融商品をいう[2]。本来のデリバティブ取引は、債券や証券(株式や船荷証券、不動産担保証券など)、実物商品や諸権利などの取扱いをおこなう当業者が、実物の将来にわたる価格変動を回避(ヘッジ)するためにおこなう契約の一種である。原資産の一定割合を証拠金として供託することで、一定幅の価格変動リスクを、他の当業者や当業者以外の市場参加者に譲渡する保険(リスクヘッジ)契約の一種である。市場で取引される債券・商品には「標準品」「指数」がある。
簡単に言うと、QCをMonte Carloシミュレーション(MCS)に応用したのだ。MCSは、ある多くのバラバラに動く要素を予想して特定の結果が起こる確率を計算することだ。幾つもの無作為(random)に選んだデータを何回も実行して結果を集計して行くと、回数が増加する毎に求める解に近づく(大数の法則として知られている)ことが知られている。金融の計算によく使われる。MCSは番外に簡単な説明を貼っておく。詳細はわからなくても、現在金融業界で多く使用されている方法で、金融商品の成績などを予測されるのに使用され、多くの複雑な計算を要して長時間かかること理解していれば十分である。
Monte Carloシミュレーション
モンテカルロ法 とはシミュレーションや数値計算を乱数を用いて行う手法の総称。元々は、中性子が物質中を動き回る様子を探るためにスタニスワフ・ウラムが考案しジョン・フォン・ノイマンにより命名された手法。カジノで有名な国家モナコ公国の4つの地区(カルティ)の1つであるモンテカルロから名付けられた。ランダム法とも呼ばれる。
Wikiのモンテカルロ法より
これが具体的にGSにどのように使われかと言うと、FTはGSのR&Dの責任者のPaul Burchard氏 にインタビューしており、それは顧客と電話応対しているときに、迅速に情報が提供できるようになるとのことである。
つまり、顧客の要望を聴きながら、デリバティブのような金融商品を勧めるときに、その商品の伸び率とかコストとかリスクを短時間で入手して顧客に提供できる様になることである。当然同様の情報を証券取引を行なっているスタッフに伝えることができれば取引上大きな利点となる。、従来だと計算に時間を要するために1日に1度だけ前の日に計算を開始して翌朝結果を入手するという。そんなに時間が掛かっていれば、全世界的に市場が変化している現在、タイムリーな結果を得ることはできない。まして、計算結果を証券取引中のスタッフや電話対応中に顧客に提供できない。その上、長時間の計算はコストも当然多くかかる。計算速度を速めることは金融機関にとっては願ってもないことだ。更に、QCWareのCEOのMatt Johnsonはこの結果は金融の他の分野や金融以外(例えば、航空宇宙産業や自動車産業)にも応用されると述べた。
GSはQCWとの研究の以前には、IBMとMonte Carloシミュレーションの研究をしてその結果を発表している。それによるとQCで完全なMonte Carloシミュレーションを実行するには7,500のqubitsが必要だと結論付けていた。とても現在のQCの技術(IBMのqubitの数は100以下、65だが2023年までには1,000にすると主張)とでは、そのようなQCを準備できない。
Press Releaseより
ここでもう少しhype抜きの話で。技術的な内容はこちらで。Monte Carloシミュレーションを超量子的に加速化させる方法は研究者の間では、広く知られている。ただしこれを実行するにはFTQCが必要であり(そのようなQCの登場までには10-20年掛かるかもしれない)、現段階では実用できない。ここで論じられている結果は2020年のQCWareのコンファレンスであるQ2Bで発表されたがその後、改善が加えられた。この研究の意図は今の不完全なNISQを使用して1,000倍の速度増を目指す(FTQCなら可能)のではなく、100倍の速度を目指す。
GSの量子研究チームの責任者のWilliam Zeng氏はこの辺りをこうまとめている、
我々のチームは会社とそのクライアントにとって最良の技術を開発している。QCは金融サービスに大きな影響を及ぼすことができる。QCWareとのプロジェクトはそれが可能となる未来に近づけてくれる。 そのゴールを目指して、我々は量子アルゴリズムのコアに新たなextensionをもたらしたのだ。こういったことも、我々のチームの量子技術の分野 への貢献を示している。
GSとQCWが開発したのは、上の図で「Shallow Monte Carlo」と呼ばれるもので、他の方式と比較してある。計算速度の増加はあまり大きくないが、その実現には5-10年のスパンでしかもそのスパンのの最初の方であることを示している。確かにこの図を見れば「Shallow Monte Carlo」は他の方式に比べて、速度の上昇は少ないものの、その分そこに到達する時間が半減になっている。しかも、その性能は理論的に古典のalgorithmに比較してのスピードアップが保証できるという点では、量子化学計算用のVQEと違う。ここで注意を払って欲しいのは、理論的にも実験的にもVQEが古典algorithmに勝るということは証明されていない。そういう面では、このalgorithmはこの段階ではかなり評価できる。
考察
では、このalgorithmの開発の意義だが、他の会社の3年以降の予定を見てみよう。
IonQ
- 2024年(3年後):量子機械学習
- 2026年(5年後):材料、最適化の加速
- 2028年(7年後):量子化学計算
にそれぞれの分野でなんらかの応用が可能になるとしているが、で金融に関しては述べられたいない。しかし、これはIonQがどの分野に注目しているかで、IonQが金融への応用を否定しているわけではない。
Honeywell
IonQと同様にIon Trap型のQCを発表しているHoneywellは具体的な製品計画を発表していない。ただ、次の1年半から2年の間に現在の古典コンピュータをはっきりと凌駕するQCを提供すると述べるのに止まっている。HoneywellはIT会社ではなく、もともと航空産業とか建物関係の技術などに特化し、広く産業に対して技術や製品を提供する。非常に保守的な会社であり、QCのような動きの激しい業界で予想を述べたりするのは似つかわしくない。しかし、現在の顧客がBMW、DHL、JP Morgan Chase、Samsungであることから、金融、流通などに重きを置いてることに気づく。
IBM
IBMは以前のblogで書いた様に、金融にも重点を置いている。上で挙げた様にGSとの共同研究も行なっている。
分野ごとに見ると2020年から2023年までは、algorithmの開発という点では、自然科学(量子化学計算を含む)、金融、最適化、機械学習に重点を置いている。それ以降はその改善である。各々の分野の順番ははっきりとつけてはいない
以前の筆者のblogより
湊氏
湊氏の予想で行くと、金融は量子化学計算、組み合わせ最適化、暗号化とと共にここ3年間はFTQC用へのalgorithmへの変更・開発に時間が使われる。4年後以降は、それに合わせてAI/MLも発展すると見ているがいつになったら「QCが実用化」されるとは述べていない。これは、当たり前で、そもそも「実用化」とはどう言う意味か。QCの市場では、語句がかなりいい加減に使用されているが、現在のQCを取り巻く状況を見ればそれも当然であろう。というか、この時点でQCの将来を明言するのは詐欺師か占い師とバカにされても仕方がない。実用化への道にはいくつも小さな改良と改善、思いかけない発見そして、大きな失望が何回もあって、もうだめだと思われた時に突然視界が開けたりするものだ。過去の物理・化学・ITなどの技術分野はそうやって進展してきた。QCが異なる道を辿ると思うのは不遜だ。
もう一点湊氏が過去にかなりFintechに精力を投入していたことも、湊氏の今後のQC予想に金融分野が挙げられている理由だと推測する。Monte CarloシミュレーションにQAA/QAE(量子振幅増幅、量子振幅推定)が不可欠であるので、金融のFTQC用のalgorithmはQAA/QAEだと述べていると推測する。ところで、このblogを書くにあたり色々とリサーチをしていたら、この論文に出会した。「Amplitude estimation without phase estimation」これまで読んで、考えていたらこのblogは終わらない。なぜこの論文が気になったかと言うと、1つは著者が全て日本人で三菱UFJ、ミズホ銀行、日本IBMと慶応で、しかもひょっとするとGS-QCWの論文とかなり似通っているのではなかろうか。その上この論文はGS-QCQ版より早く発表されている。
まとめると、GSとQCWareがpress releaseで述べたことは
- 現在のNISQ上で完璧を求めないMonte Carloシミュレーション用の量子algorithmを開発して100倍程度の計算速度を達成できそうだ。
- この分で行けば、これを実用化に今後5-10年で持っていけるかもしれない。
FTが記事で書いたことは、表面的に読めば
- GSが新たな量子algorithmを開発して計算速度が上昇した。
- これで実用化は5年程度で見込まれる。
FTの記事を読み込んで、GSのpress releaseやその他を見れば、必ずしもそんなに薔薇色の話ではない。Press releaseはかなりhypeを抑え込んで事実を淡々と述べるだけだ。さて、これでは読者は読まない。で、筆者だってこのblogのタイトルが正にcatchyなもので、FTに偉そうなことは言えない。とここでは反省。。。。。。
蛇足としては、2019年のGoogleの超量子優越性の発表も、一瞥するとすごいことだが、中身をみると、ええそれだけと思ってしまう。しかし、Adam Bouland氏の講演を聞いて、やはりQCの発展の1つの目標としてその意義は大きいと再確認。